手放すことで判断基準がみえてくる シンプルライフに近づくための第一歩とは

モノを極力少なくして、大事なものだけが残る。そんな暮らしが理想です。たくさんの平均的なものに埋もれて暮らすよりも、少しのいいモノに囲まれていた方が、きっと人生は豊かになる。また、モノを減らしていくと余計なものを買わなくなります。

これは捨てるときに、自分なりの判断基準ができるから。捨てる、というのは一つの判断ですから、それを繰り返していくことで自分なりの判断基準が養われていきます。

もちろん、買う、というのも一つの判断ではありますが、買うよりも手放すときの判断の方が、自分なりの軸を身につけるには有効です。

なぜなら、買うときには判断のなかに「期待」が混ざるから。これがあれば、自分はアレができるようになる、これさえあれば、自分はアレになれる。そいう期待が、判断の軸を大きくぶれさせます。人はいつでも自分にたいしてはとても甘くなります。もっとも甘くなるのが自分の未来に対して。そして、モノは、人の期待を膨らませやすい性質を持っています。

だから、買うときは、判断というよりも期待が私たちを動かしている。

一方で、手放す、ということは、それがあれば手に入った(かもしれない)自分の可能性も含めて手放すこと。期待値を割り引いて、現実をみて、そのうえで、ジャッジするので、そこには後悔はあっても期待が入り込むよりはありません。(未練は、入り込むでしょうが)ですから、判断はより現実的で、シビアになります。

手離すことで、養われた判断基準は、モノを買うときには期待を押さえて、現実を見せるブレーキにもなりますから、モノを手放す訓練をし続けると、余計なモノを買わなくなるのです。

手放すことで、自分の軸が見えてくる。

そのためには一度手に入れる必要がある、というのは大きな自己矛盾のようですが、最初から正解を選べる人なんてまずいません。村上春樹の小説の登場人物も「人は経験から学ぶことしかできない」と言っています。

たくさんのモノを持っているのは悪いことではありません。たくさんのモノを集めたからこそ、見えてくる景色もあるでしょう。

そのうえで、モノを手放して自分の判断軸を磨くことができれば、その基準はきっと何もしらなかったときよりもずっと確かなものになります。

手放すことは、現実をみること。

ちょっとした時間の整理は、単に片付く片付かないもの問題ではなく、自分の判断軸を養うための効果的なエクササイズなのです。

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