古代の賢人は難破から助けられるて丸裸で陸に上がると、「私は全財産を身にまとっているのだ」と豪語した。(アラン『幸福論』日経BP)
ミニマリズムやシンプルライフを考えるうえで、これほど、本質をついた言葉はないでしょう。
賢者の知識は難破した船から身一つで逃れたときでさえ、
一つもかけることなく、その賢者の内にとどまっていました。
モノをいくら買っても、いくら豪奢な衣装をまとっても、堅ろうな城を構えても、天災や災害、降りかかる不幸な出来事によって身一つになってしまうことは誰にでもありえます。しかし、その時に、例えば体一つで路頭に迷うことがあっても失われないモノこそが、自分にとっての本当の財産であり、価値である。
そう考えると、モノを欲しいという気持ちが消えていきます。
もちろん、寒い日に身を包む衣類は必要ですし、私たちが生きていくためにはいろいろなものが必要です。しかし、それらは快適な環境をつくるためにあるのであって、どこまでいっても自分自身とは関係ありません。
モノで自分の価値を示すと、モノにかけるお金は際限なく膨らみます。でも、モノは自分ではありません。難破船から引き揚げられたとき、波にのまれて消えてしまう存在です。そんなモノに自分の価値をゆだねるのはとても危険です。
大事なモノをそろえていくことは、自分の価値観を磨くこと。その判断軸を身につければ、たとえ、すべてを失ってもまた一から始めることができます。だからこそ、何でもかんでも手に入れるのではなく、必要なものが何かを考え、それだけを手に入れる。
それをもって得た経験、知った知識、磨いた意識
そういったものを得るために、
経験としてのいいモノと自分との関係がある。
そう思います。