感情の総量は一定で、思いやりは有限の資源というお話

感情労働、という言葉があります。

サービス業など、直接お客様とかかわる仕事はもちろんのこと、外勤の営業職やオフィスで働くワーカーたちのほとんどは、何らかの形で常に、他人とのかかわりのなかで仕事をしています。

マネジメントパワーがあるとないにかかわらず、人にモノを頼んだり、頼まれたり、無理を聞いたり、押し通したりすることによって、働く人の感情は疲労していきます。

経験上、感情も筋肉と同じで使い続けると疲弊します。もちろん、人によって我慢強い人や穏やかな人、感情の燃費が非常にいい人もいるでしょうが、いずれにしてもこの力は有限だというのが、実感です。

しかし、これを忘れてしまうと、自分はなんて我慢の効かない人間なのか、自分はなんと心の狭い人間なのか、と自分を責めてしまうことにもなりかねません。

逆もまた真です。

あの人はなんて心が狭いんだろう、こんな小さなお願いすら聞いてくれないなんて、こんな些細なことで、あんないやそうな顔をするなんて、と相手をせめてしまうまえに、感情の力を使い果たしているんだ、と思って観ることが大切です。

誰もが自分を大切にされて、自分の思うとおりにできていれば、相手に優しくすることは、さほど難しいことではありません。

でも、それができない状況、疲れ切って家に帰って、つい家族への対応がぞんざいになってしまう、それは一日のなかで振り分けられる他者への感情の総量を、使い切ってしまったからだと考えましょう。

まずは、自分を大事にすること、大事な家族を大事にできないほど、感情を使い切る働き方を見直すこと。それを考えるべきだと私は思います。

感情の総量は決まっています。

私は、疲れたな、と思ったら、本屋で好きな本を買います。お金がなければ、ブックオフで108円で好きな雑誌を探すこともあります。小さなやりたい放題です。小さなわがままを通すと、感情のメモリがぐっと回復します。

自分はこんなに頑張っているのに、なんて思い込みは、そんなわがままで相殺されます。ブログを更新することでも、もちろん回復します。このサイトにはなんのしがらみもない自分の責任編集。企画会議も、上司の決裁もありません。

自分が編集長になれるのが、ライフログのいいところです。

感情は有限の資源、疲れればなくなるし、なくなれば優しくなることはできません、

自分の「感情のメモリ」が何をすれば回復するのか、

依存や浪費などは注意深く避けて、ちょっとしたわがままを探してみましょう。

文章を書く、ライフログをつける、というのも、害がなくてお勧めです。

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