なぜ、ボールペンではなくて万年筆を使った方がいいのか

万年筆は趣味人だけのものではない

万年筆は「趣味の道具」。

そういう人は多いと思います。特に万年筆を使わない人に多いです。

でも、これって本当でしょうか?

確かに万年筆というのは不思議な道具です。ペン自体の値段は他のどの筆記用具よりも高いのに、抜群に高性能かといえばそんなこともありません。

機能的にもっと多彩なもの、環境を選ばないもの、均一な線を引けるものはいくらでもあります。

そもそも、万年筆の醍醐味とされる“豊かなインクフローと多彩な筆致”にしても、ボールペンでインクがドバドバでたらクレームものですし、サインペンの太さが均一にならなかったらちょっと不気味です。

ところが、こうした不便さをもひとつの“味”として評価の対象になってしまうあたりが万年筆をして「趣味の道具」と言われるゆえんなのかもしれません。

しかし、「趣味の道具」というのは文化的な香りのする優雅な言葉であると同時に、少し困った存在でもあります。

・趣味のものであれば、多少の不便はあたりまえ。

・好きな人は好きだけれど、実用の道具ではなくあくまで趣味のもの。

「趣味の道具」ということば一つがそんなニュアンスを込めて敷衍され、普段万年筆を使わない人たちに、この独特な筆記用具が本来持っている「実用性」を見誤らせていることになってはいないでしょうか。

万年筆は情報ではなく感情を伝える

そもそも字を書くとき、その字体、勢い、インクの濃淡にいたるまで、その全てがアウトプットであり、一つの表現です。

ボールペンで書いた文字は確かに観やすく、また書きやすさ・コストパフォーマンスにおいて優れています。

しかし、書いた文字が均一になることで、逆に単調になり、本来はそこに含まれてしかるべきだった表情を消しまう。

一方、万年筆は、

その人の息づかいやメンタリティ、

ノートと向き合う姿勢、

それら全てを表現しうる“機能”を備えています。
「いつもありがとう」

と書くときに、ボールペンで伝わるものも確かにあるかもしれないけれど、さらに想いを込めたいならば、万年筆を使えばいい。

情報ではなく感情を伝える。

その機能においては、この奥ゆかしい筆記用具は、

立派な「実用の道具」といえるのではないでしょうか。

※この記事は2011年に別のブログで書いた記事「万年筆は趣味のものではない」の引っ越しです。

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