中田敦彦は自分の考えをしゃべっていないのに何で評価されるんだ問題

こんにちわ。

今日は、秋葉原くんだりまで行ってきましたが、とくに買い物もしなかったので、開封系のご報告はなし。シンエヴァの薄い本(〇ロイのではない)を目当てに3回目に行こうかなとも思ったのですが、シンジ君のグダグダな様子をもう一回みる気力がなく、断念。ラストランで100億円行ってほしいとは思いつつ、そこに突っ込む1900円はないのだよと、一人で回転ずしを食ってきました。

回転ずしってコロナのなかで不特定多数の人の前を食材が回るという、考えようによってはかなり恐ろしい建付けの飲食店なのですが、なぜか規制されていませんね。口よりも高い位置を回っているからいいのかな。

そんなわけで、ブログを更新するネタもないのですが、生き返りの電車のなかで中田敦彦さんのYouTube大学を聞いていたので、それについて書いてみたいと思います。

ご存じの方も多いと思いますが、中田敦彦さんのYouTube大学は登録者390万人超という人気チャンネルですが、基本的には書籍紹介動画です。中田さんの動画はためになる!あっちゃんかっこいい!という評判もSNS上ではちらほら見かけますし、私も大好きなんですが、今日見ていると「私を責めないでください、今言っていることはこの本に書いてあることです」って二回くらい言ってました。

それで、ああそうだなと思ったのですが、YouTube大学って基本的には中田さんの考えを話されているわけではないんです。中田さんの抜群の話力、要約力によって、元本をはるかに上回る訴求力を発揮していますが、基本的には「その本の中に書いてあること」を紹介しているんですよね。中田さん自身が面白いと思ったり、まったく反対、という内容の本は紹介しないでしょうから、「中田カラー」は多少でてくると思いますが、基本的には著者の主張を要約して、面白くわかりやすく伝えているだけ。その意味では池上彰さんに近いインフルエンサーだと思います。

メンタリストのダイゴさんも論文をわかりやすく紹介するという意味では同じ系統にはいります。咀嚼力みたいなものが抜群に高い。でも本や論文自体は、彼らと関係なくもともと世の中にあるものなんです。

それが悪いと言っているのではなく、それが390万登録者を稼ぐくらいに評価されている事実を、ものをつくったり考えたりする人はもっとじっくり考えてみた方がいいんじゃないかと。私もブログのほかにはイラストも描いてますが、単純ないいねやインプレッションの伸びでいえば、文章とイラストでは比較にもなりません。

文章の方が圧倒的に不利だったりします。世の中はわかりやすさを求めている。それは間違いありません。そんななかで本を一冊描く人がいて、論文を書く人がいて、しかし、その人たちが受けると報酬は中田さんの何百分の、下手すれば何千分の一だったりするわけです。それてええんかいと。

いやええんだと思います。

評価とかお金とかって、なんらかの働きかけをした人や物にあつまるわけで、その一手ができるだけたくさんの人にリーチできる人にすべては集まっていく、だから「いいものを作りました」といっても、それは道の手前も手前で、それをどうやって人に届けていくのか、リーチしていくのか、得意分野もあるから、それを外注化するのか(昔の作家さんとかはそういったプロモーションを出版社とかに任せていたわけですしね)よくよく考えないといけないわけです。いまの時代は中田さんに限らず、一般の人たちの力によって「バズる」ということもあります。それはひとりひとりが持っている評価の「いいね」というコインを誰かに投げ与える仕組みです。インフルエンサーにしろ、一人ひとりのいいねにしろ、従来は企業が特権的にもっていた「普及する仕組み」によらず、拡散され評価される時代になってきている。

では、逆に「伝えやすい」ものって何だろう、というのを考えてみましょう。私たちが何かを人に紹介したり、話したりしたくなるのはどんなときか、どんなものか、それがないと「伝わらない」ということになります。物を作る側が、受け手を意識しすぎると逆に最大公約数的になり、伝えるきっかけを見つけにくくなる。例えば、いろいろな花の写真を撮るのが趣味な人がいるとしましょう。その人はいろいろな花をいろいろなところで撮ります。一方で、アジサイしかとらない人がいます。その人はしかも鎌倉でさくアジサイの花しかとりません。でもアジサイの写真の種類では群を抜いている、どちらが人に紹介しやすいでしょうか。

それは絶対に後者です。極端で明確で絞られていること、それによって人はそれを伝えやすくなる。もちろん、いろいろな花を撮っている人の、いろいろな場所の写真の良さもあるでしょうし、それを評価する出版社があれば、それを評価することも可能でしょう。年間に花の写真集が数冊しかでていなかった時代ならそんなものでも売れたかもしれません。しかし、それでは伝わりにくいし売れにくい。

シンプルな特徴を出して続けること、YouTube大学の話をしていて話がそれてしまいましたが、そこからつながて今日はそんなことを秋葉原の喫茶店で考えていました。こんなに特徴のない雑多なブログをかいていてなんですが、まあ雑多なことを考えるのが人間ですから。このエントリーが誰かの何かにつながることを祈っています。

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