なぜ整理をはじめたのか

世界最高水準の恵まれた環境で

毎日忙しく働いているのに、今一つ充実感が得られない。周りにはこんなにモノがあふれているのに、全然幸せを感じられない。気が付けばよる遅くまで、ネットの記事を読んで時間が過ぎてしまって寝不足。たくさんのモノや情報に触れることができるという意味では、現代の日本に生きる我々は世界の中でもトップレベルに恵まれた環境を享受しているといっても過言ではありません。しかし、それでもなぜか焦燥感や空虚な気持ちに襲われてしまうのはなぜでしょうか。

私自身も少し前まではモノが大好きで、こだわりのものを集めることが大好きでした。しかし、手に入れた一時は楽しいのですが、その充実感は持続しません。そうすると、また次のものが欲しくなる。これは消費者としては、とても正しい生き方です。市場経済では、企業は毎年次々と新製品を送り出し、それを毎回消費者が購入してくれなければ、市場は成立しません。これまでに私は、市場経済の参加者としては、消費を回してくれる良き消費者であったと思いますが、消費者という生き方は、一生一時的な満足と焦燥を繰り返す生き方なのです。

消費者という生き方では、一生満足を得られない

1年間で180個モノを手放していっても何も困らなかった

それに気が付いてから、私はいろいろなものを整理するようになりました。モノの整理から始まり、いま、徐々に情報の整理を始めています。このブログはその過程を記録する現在進行形の物語です。この1年で、手放したものは大小あわせて180個以上。手帳に記録したものを見ると、「あ、あったなコレ」と思い出しますが、日常生活で、それらのものがなくなって困ったことはまだ一度もありません。手放したものは大小様々

・使い切れなかったノート/ルービックキューブ/ベーゴマ/ミンクオイル/自動車/万年筆の瓶/ウィスキー/缶スプレー/山のような情報カード/袖を通していなかった半そでのワイシャツ/クレジットカード/CDやDVDを収納していたう薄いフィルム/着てもテンションのあがらない部屋着/革のメモ帳/コードバンの靴/干からびてしまった靴のワックス/使っていなかったハンコ/クロムハーツクロス/使わないポット/傘/読まないのに保存していた書籍などなど(ゴミのようなものに混ざって、値打ものの大物が混じっているのがおかしいですが、それでも区別なく記録していました)

ちょっと上げきれませんが、純粋に捨てたものもあれば、人に譲ったものや、売ったものもあります。手放したことで困ったものは一つもなかった、と書きましたが、お金が入ってきたり、手放したことで場所が有効に使えるようになったり、心理的な圧迫感がなくなったりと、よかったことはいくつもあります。モノの整理の効果については、また改めて書きたいと思います。

モノを整理することで、人生の質は確実にあがる。

この1年間モノを整理してきた私の実感です。このブログでは、そうしたモノの整理だけでなく、現在進行形でチャレンジしている情報の整理、思考の整理、表現の整理、関係の整理についてものまとめていきたいと思います。

モノを整理することで培った整理の感覚を展開していくという考え方は、以下の佐藤可士和さんの書籍から学びました。モノを整理する、という観点からいくと世にいうところのミニマリストの方たちの本が参考になりました。先達の方法論や考え方にインスパイアされつつも、このブログでは私が実際に試行して、考えたこと感じたことや、やった結果などをまとめていきたいと思います。

※なお、このブログでは、試行錯誤した内容を綴っていきますが、内容がまとまってきた段階で順次、固定ページに「モノ」「情報」「思考」「表現」「関係」といった内容でまとめていきます。固定ページの内容とブログの内容で重複がでてくることがありますが、ご容赦ください。

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