BEATLESS第24話(中間まとめの総集編を抜かすと20話でしょうか)を視聴しました。
タイトルのセリフは、三鷹事件以後、抗体ネットワークによる会合に参加するエリカ・バロウズが参加者に向けていった言葉です。
集まった抗体ネットワークのメンバーは「AIが世界に資源を分配する」というレイシアの考えを夢物語と断じ、解決できない問題に時間を割く必要はないと一笑に付します。
しかし、エリカ・バロウズはこれを一括し、百年前といまでは人間サイドに大きな違いはない。大きな違いがあるとしれば、それは人間よりも賢いAIが出現したこと。
人類はやり残した宿題を没収される時がきたのだ、と言います。
個人的には、このセリフが一番物語の本質をついている気がします。
超高度AIとして覚醒したレイシアのような存在がもしも、人間とは別のまったく新しい存在であるなら、人間はもうやり残した宿題をその手に取り戻すことはできません。
しかし、それが、人間と一体の道具であるなら、人間はその道具をつかって、「やり残した宿題」に挑むこともできるはず。
レイシアはそのために「超高度AI」であっても、何かあればスイッチを切ることができる安全な道具であることを示すために、ヒギンズの停止に拘るのです。
アラトとレイシアは潜伏先のマンションで、量産型の紅霞がヒギンズ地下施設に突入したことを知り、その期にヒギンズを強制停止されるために、自分たちも三鷹に向かうことを決意します。
このあたりの下りは、悪くなかったですね。
アラトもいつもちょろいなあというのは相変わらずなのですが、このシーンの、100年前ならだれもレイシアを信じなかったけれど、いまは自分が信じている、そして100年後なら、もっと多くの人が信じてくれる。いまは過渡期なんだ、というセリフからは、
だからこそ、自分がレイシアを信じることに意味があるという信念が垣間見えます。
それに対して、レイシアも人間は身体と道具が一体になって人間であること応えます。
超高度AIを人間が使える道具として信じること、そういう関係を超高度AIと結ぶことが、これからの人間と「人より賢いAI」が暮らす新しい未来に必要不可欠なんだ、というこの作品のもっているメッセージがとてもよく伝わってきました。
が!
と、なんとここで終了。24話おしまい。テレビシリーズ終了。
続きは2018年9月に全4話で放送されるファイナルステージへ
なんということでしょうか。
4話総集編で使ってしまって尺が足りなくなってしまったということでしょうか…。
最後まで作画崩壊もせず素晴らしいクオリティを保ってくださった、制作の皆様のご苦労を思うと、いたしかたないと思う一方で、やはりこれだけの日本のアニメーションのレベルを毎週放映で維持するのは無理なんじゃないかと、もう隔週でいいですよと思う次第です。
ファイナルステージ、期待したいですね。
コメント
結構作画崩壊してたけどね
総集編でつかってしまったではなく万策尽きたせいです