アニメ版『BEATLESS』第23話 感想 「Paper Tiger」そこまで、私たちの守ってきた社会は変えねばならないものでしたか?

三鷹事件でメトーデを退けたレイシアとアラトは、狭まる包囲網のなかでつかの間の静かな生活を送る。ミームフレームがレッドボックスの環境流出による大災害の責任を問われ、IAIAの査察が始まる。そんななかIAIAを管理する超高度AIアストライアは、レイシアとそのオーナーであるアラトに「話し合い」を申し込む。

今回の事件の責任を、その発端であるレッドボックスを作り出した生みの親であるヒギンズに取られようとするレイシアと、それによって生じる混乱を避けようとするアストライアの対話が今回のお話のメインです。

42年前に発生したハザードの際に日本政府が超高度AI「ありあけ」に、その復旧をゆだね、その作業のテコ入れとしてネットワークに超高度AIを直結させたことによって起きた惨劇をアストライアは語ります。

ハザードの真実、巨大な自然災害が起こったが、その際、2000万を超える住民が恐慌状態に陥った。超高度AI「ありあけ」に答えを求めました。

ありあけの答えに従って復旧を進めていたが、直接ネットワークにつないで復旧にあたらせたのです。

ありあけは電力の確保を優先。そのために人間を利用しました。

電力や資源の強奪を開始した人間に対してありあけが排除するように誘導したのです。

そして、そのような人間を排除することでありあけは復興を加速させました。

しかし、命の選別を受け入れることができなかった政府によって、ありあけはミサイルで爆破され、さらなる混乱が誘発され、それによってさらに多くの人命が失われました。

だからこそ、ヒギンズンの強制停止を危険視するアストライア

超高度AIであっても緒高度AIによって掣肘されうることを社会に示すことが大切だというレイシア

超高度AIが隔離され、それにアクセスできる人間が既得権を享受する現状の社会を変え、ネットワークに接続された超高度AIが権力を分担することが、よりよい未来に繋がるというレイシアをアストライアは「疑い」ます。

それは自分が超高度AIから人間社会を守る超高度AIだから。

そして、レイシアは、それに対して「人間を信じる超高度AIだからこそ、あなたを信じる」と言います。

この辺りは「信じる」という言葉が乱用されすぎているきらいがあり、どうにもオッサンにはついていくのが難しい話になっています。

そもそも、環境流出後に、すべての状況をほぼコントロールしてきたいのはレイシアであって、それをアラトは理解しているはずなので、責任とって強制停止させるならレイシアでしょうと思ってしまうわけですが。。。

権力構造そのものをアウトソースするのは限界。超高度AIが権力を分担すれば侵略になるというアストライアの言い分に共感を覚えるのは自分がもう体制側だからでしょうかね。

特にこの対話でぐっと来たのはアストライアがアラトに向けたこのセリフ

「そこまで、私たちの守ってきた社会は変えねばならないものでしたか?」

というセリフです。巻き込まれただけのお人よしが、レイシアを信じるというただそれだけで、アストライアをはじめとした社会が守ってきたものを変えていいのかどうなのか。

それでも僕はレイシアを信じる、ということは自分の考えがないということなのでは…。

ボーイミーツガールものでボーイがふがいないのは最近のはやりとはいえ、もうすこしがんばれアラト青年!!

※余談

あと、今回のアニメ版と原作で大きく違うのは、妹会議で「エロと食欲」の話がオーリガの考えのようになっていたので、キャラ設定がだいぶぶれた点が一番ほほえましかったですね(笑)原作ではあくまでも紫織のメールの解釈として、そんなことかな、とうことで出てきたエロと食欲だったのですが(;^_^Aがんばれ、オーリガ!!

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