すみません、写真はビットコインですが、今日のお題はレターポットです。
レターポット
という単語をよく目にするようになったので、少し興味を持って調べてみました。
キンコンの西野さんが開発したWebアプリケーションだ、という記事と、仮想通貨だ、という記事がありました。また換金できる、とか換金できないとか、換金できないからダメだとか、様々な記事があります。
非常にざっくりいうと、
サービスの概要としては1文字5円で購入した文字を、誰かにプレゼントすることができる。
プレゼントされた人は、その文字をまた別の人にプレゼント(レターを送ることができる)
という仕組み
1文字5円で購入した文字で100文字の手紙を受け取った人は500円分のレターをもっているわけですが、現状では、それを換金することはできません。
うん、難しいです。
仕組みを解説してくれるサイトはたくさんあったのですが、ひっかかってしまうパターンは大きく二つあって、
一つは、お金に気持ちを添えるのってどうなのというパターンと
換金できなきゃ仮想通貨じゃないだろ、というパターン
まずはパターン1
お金に気持ちを添える、というのは、ちょっと一瞬引きますが、それほど変なことではありません。文字に気持ちを託す、というのは違和感はないですよね。美文ではないけれど、ていねいにかく、というのも理解できます。
そのために労力と時間が割かれる。手間暇かけられる人は、それをかければいいし、いま、それだけのスキルがない人は、自分が手間暇かけて稼いだお金をかければよい。気持ちを文字の分量で表すということなら、電報がまさにそうです。
たくさんの文字を使えば、お金がかかる。あれは、もちろん電報を運ぶお金ということでもあるのだろうが、わざわざ高いお金を払ってくれた、ありがたい、という感情は理解できますね。
だから、お金で気持ちをあらわすというのは昔からやられていたことで、別におかしくはないと、私なんかは思います。
Webで電報サービスをつくりました。しかもその電報は使いまわせるんです、という話であれば話は簡単です。たくさんの電報をうけとった人は、たくさんの電報を打つことができる。たくさんの手紙をもらえるということは、たくさんの感謝を集めたひとだということだから、その人にはたくさんの価値が集まる。それはとても素敵なことです。
では、パターン2
ただ、それを仮想通貨としてしまうと、とたんにわからなくなってしまう人。私も通貨というのは他の価値との交換が可能になってはじめてその本分をまっとうできると思うので、5円で買って、換金できないというのはいかが、最初はと思いました。
しかし、他の価値と交換できることが大切なのであって、必ずしも換金(この場合は日本円に変えること)ができなくても通貨とは呼べるのではないかとは思います。
例えば、綺麗な貝殻で、この貝殻をもっていると嬉しいから、手紙に添えてこの貝殻をあげよう。手紙に貝殻を添えると、その喜びをほかのひとにも与えることができる。そうしてたくさんの貝殻をもっている人は、きっと多くの人から信頼をあつめる素晴らしい人がから、珈琲をタダにしてあげよう。ここまでOKです。
で、そういうお店が増えていくと、その貝殻(レター)には、他の価値との交換可能な通貨としての役割が出てくる。ビットコインで買い物ができる店が一つもなかったら、それは単なる値動きの激しい先物みたいなもので、誰も通貨とは言わないですよね。
この問題について、擁護系のサイトでは、別に現金にとってかわろうとしているわけではないし、好きなモノを買える、という意味で言えば現金が最強。そこにとってかわるのではなく、新しい価値の流通のかたちを提案しているのだよ、というお話があって、それはけっこうしっくりきました。
感謝とか人の気持ちみたいなものが、レターポットという単位を通じて可視化されて、流通していく仕組み、それは日本円には変えることができないけれど、(いまは)それをたくさんもっている人には、価値がある(たとえば、親切にされたり、一杯珈琲がのめたり、どこかに宿泊できたり)そういう価値観が育っていけば、それはゆっくりと通貨としての性質を帯びていくのではないか、というのは目指す世界として、なんとなくイメージはできました。
もともといまの通貨だって、昔は金と交換できることが価値の裏打ちで金兌換紙幣と言われていたのに、いきなり、金には交換できませんっとなったのは、結構最近の話です。
それでも、結局は交換価値はなくならずに残っています。それはその通貨にみなが価値を置いているから、(あとは中央銀行が発行しているから、という国の裏打ちもいまはありますけどね)
そう考えていけば、レターは今は現金に裏打ちされているけれど、換金はできないから、通貨としての力はとても弱いです。
交換価値も少ないから、まだ仮想通貨としてはベビーもいいところで、国の裏付けもない。だけれども、その志に賛同して使う人、価値を感じる人が増えることで、徐々に成長して通貨になっていく、そういうたぐいのものではないかと思います。
いきなり大人の通貨だとおもって考えると、それはちょっと一言いってやりたくもなるのでしょうけれど(;^_^A。
レターポットは信頼や人に価値を与えた人が、お礼としてもらえるクレジットをためていける個人通貨の赤ちゃんで、それを通貨として育てていくには理念に共感して、それをもってい人に価値をみとめ、ほかの価値を進んで提供する人たちのフォローが欠かせない、そんな感じの理解でいいのではないでしょうか
なんとなく、勉強になったので、備忘録的にアップしておきます。