こころが楽になる 人間は誰もが無能で誰もが有能という話

人間の能力にはそれほど差がなくて、好きな分野なら、その他大勢よりは有能、という記事か言説をどこかで読んで、膝を叩いたことがあります。

確かに、例えば、プラモデルをつくることでいえば(いきなりなんですが)私はたぶん、今の会社にいるどの社員よりもたぶん上手な自身があります。

少なくとも、5本の指には間違いなく入る。

うちの会社は残念ながらプラモデルをつくることが業績に1ミリも寄与しませんのでどうにもならないんですが、それでもこの会社が小さな村だったら、と考えると、村一番になるのってそんなに難しくないんですよね。

好きなことを続けていれば、それに興味のない人よりも秀でることは超簡単です。

もし、職業が村の中だけで完結していれば、プラモデルを教える人、としてのナリワイが成立したかもしれない。

でも、街にいって、プラモデルを教える専門の会社があったとしたら、そこでは私は10本の指には入れない自信があります。

自分がどのレベルか、客観的にわかるくらいは、詳しいですからね。

ネットなんてつないでしまうともうだめ、日本語のサイトに限っても、私よりうまい人はひと山いくらで存在します。

これがグローバルで、なんてことになったら目も当てられません。

好きなことなら、有能、とはいっても、比較対象が、広がればその優位は簡単に揺らいでいきます。

好きなことだけ極めても、村から街へ街から世界へと競争が広がっていくと、そこで勝ち残るのは極めて難しい。

しかし、そこで再びニッチな社会に目を向けると、また違った景色が見えてきます。

会社のなかでプラモ部をつくって、ランチ1回で、講座を開く。

それくらいなら、できそうですよね。

だから、大事なのは自分にとっても村の範囲を見極めること。

人間の能力にはそんなに差はなくて、好きな分野ならだれでも有能。

ただし、ニッチな範囲で。

冒頭の言葉に、こんな感じでエクスキューズを足せば、ちょっと気が楽になったり、自分ができることが見えてきたりするんじゃないか、そんな風に考えています。

あ、もうひとつ、ニッチな分野のプラモデルに注力するってのも手ですけど、もともとそれが好きでもないのに好きな対象の方を絞るってのがちょっと違和感があるんですよね。ビジネス戦略じゃないんだから(;^_^A

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