赤信号はなぜわたってはいけないのか。ガチで考えてみたところ自分でも意外な結論が出た。

高橋がなりさんの人生相談をみていたとき、常識を知ったうえで、非常識を行え、というお話があり、そのためにみなさんも「赤信号をわたってはいけないのか」といったテーマで議論をしてみるとよいですよ、とおっしゃっていたのが印象的だったので、少し時間をとって考えてみることにしました。

まず、なぜ赤信号を渡ってはいけないのか。それは危ないから、というレベルと法律で定められているから、というレベルがあります。まず、法律のレベルからみてみましょう。赤信号を渡ってはいけない、というお話にはしっかりとして根拠法があります。(根拠法が変わる可能性もあるので、あくまで現時点です)

道路交通法第7条

道路を通行する歩行者又は車両等は、信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等(前条第一項後段の場合においては、当該手信号等)に従わなければならない。

道路交通法施行令第2条

赤信号

一 歩行者は、道路を横断してはならないこと。

二 車両等は、停止位置を越えて進行してはならないこと。

三 交差点において既に左折している車両等は、そのまま進行することができること。

四 交差点において既に右折している車両等(多通行帯道路等通行原動機付自転車及び軽車両を除く。)は、そのまま進行することができること。この場合において、当該車両等は、青色の灯火により進行することができることとされている車両等の進行妨害をしてはならない。

五 交差点において既に右折している多通行帯道路等通行原動機付自転車及び軽車両は、その右折している地点において停止しなければならないこと。

黄色信号

一 歩行者は、道路の横断を始めてはならず、また、道路を横断している歩行者は、すみやかに、その横断を終わるか、又は横断をやめて引き返さなければならないこと。

二 車両及び路面電車(以下この表において「車両等」という。)は、停止位置をこえて進行してはならないこと。ただし、黄色の灯火の信号が表示された時において当該停止位置に近接しているため安全に停止することができない場合を除く。

日本国において、道路交通法に従う限り、赤信号を渡ってはダメ、ということはいえそうです。法の解釈について決着をつけたければ裁判所へGOということになるので、議論は終わってしまいます。私の解釈では法律は、最大多数の幸福を実現するために、不利益となるモノを定め、国家権力がそれを守らせるためのルールなので、そもそも法律については、まずは問答無用で従うのが基本姿勢で、それを変更したければ選挙の争点にして、最大多数の指示を得て、変更する、というステップが必要です。

では、赤信号を渡ってもいいように法律を変えるというのはどうでしょうか。私は法律を変える目的で、原理原則を立てようとするなら現状の道路交通法と施行規則以上の変更は必要ないと思います。ケースバイケースでさらに細分化していくことは可能かもしれませんが、命に係わる判断の場合、この場合において、さらにこの条件がそろえばわたってもOK、など判断の条件を複雑化することで、一瞬の判断に迷いが生じた入り、前提が複雑になることによって、ある人と別の人との間で判断に不一致が生じ、それが取り返しのつかない事故になる可能性があるためです。リスクとして脅かされるものが、適切な商行為であったり、金銭である場合は、多少の解釈の余地を残したり条文を複雑化して、運用の余地を残してもいいでしょうが、1つしかないものをかける場合は、できるだけ解釈の多様性や判断の遅れなどのリスクを減らすため「赤信号はわたってはいけない」という社会ルールで統一しておく方がいいと考えるからです。

さて、それでは個人的な運用、という面ではどうでしょうか。誰も来ない見晴らしのいい道で赤信号、その場には自分しかいない。その場合、赤信号を渡ってはいけないなのか、という問題です。繰り返しますが、ここにいるのはあなただけです。車も見渡す限り、1台もありません。人もいません。ちなみに、ここは日本です。道路交通法もそのまま。この道は私道ではありません。その場合、あなたはどうしますか。

はい、自分だったらどうするかを考えてみましょう。

まず、時間があり、特に急いでいなければ、たぶんわたりません。しかし、急いでいる場合、わたる可能性が高いでしょう。道路交通法違反です。罰せられても仕方ありません。これは、よくないことです。しかし、危なくないうえに、誰にも迷惑をかけていないことを考えると、法律が担保したかった、最大多数の利益を侵害していないのだから、いいんじゃないだろうか、と思えてしまいます。これを読んだ方も、自分でもわたるかな、と思うかもしれません。例えば、誰もいなければわたる、周りに誰もいなくても、例えば自分が子供を連れていたら、規範を示すためにわたらない、という選択肢もあるかもしれません。

これはとても難しい問題です。おそらく高橋さんはこういう問題を自分で考え、しゃくし定規に常識に縛られるのではなく、最大多数に迷惑をかけることなく、自分の頭で、迷惑をかけない範囲を決めて責任をもってやれ、ということをおっしゃっているのかもしれません。これは推論です。

しかし、赤信号問題が難しいのは、これは法規によって自由度が低く定められている問題なので、ケースバイケースでも、渡る、という選択肢がすなわち法令違反になってしまう点です。この場合、こういったケースならわたる、という判断の多くが、こういう状況なら法令違反をしてもいいと思っている、ということになりかねないのですが、法令は先ほども言った通り、ダメなモノはダメ、という嫌なら裁判か選挙に行こうね、という趣旨のものです。では、少しハードルを下げて、法律では定めさられていなくても、社会常識として求められているモノならどうでしょうか。

その場合、問題になってくるのは、自分がそのリスクを引き受けることができるのか、と誰かに迷惑をかけているかどうかが争点になると考えます。

自分がそのリスクを引き受けられるか、については「あぶなくない」という判断ができるかどうか、その判断を間違ったときに、そのリスクを引き受けることができるかです。もし万が一、車がきてはねられてしまったとき、自分は死んでもいいと思っているなら、いい、というロジックもあるでしょう。しかし、それでもはねてしまった人の人生を狂わせる可能性はあります。自分がよくても人に迷惑をかける可能性がある選択肢は極力避けるべきです。なぜなら、それを許容した時点で、他の誰からかけられるそういった身勝手なリスクを許容しなければならなくなるから(なぜって、それが射会の常識になるからです)では、次は誰にも迷惑をかけないなら、何をしてもいいのか問題。これも難しいですね。赤信号に問題も法規を別にすれば「誰にも迷惑をかけなければOK」といえそうです。しかし、これも本当でしょうか。

無人島に一人きりなら、何をしてもいいかもしれません。しかし、例えば、その島が日本の島だったら、勝手にゴミを捨てたり汚したりすれば不法投棄で罰せられるかもしれません。その島を自分が所有していればいいかもしれません。しかし、そのゴミから何か流れ出し、近隣の海を汚染したらどうでしょうか。誰にも迷惑をかけない、というのは自分で判断しきるのは非常に難しいのです。そもそも私は迷惑をかけられた、といって訴えられれば、訴訟になります。誰にも迷惑をかけないからいいだろう、という議論は、迷惑をかけたかどうかの判断を自分がしてしまっている時点である種の錯誤をはらんでいるのです。

誰も観てない、絶対にばれないなら信号無視をしてもいい、というロジックは誰にも迷惑をかけない、ということが前提になっています。

しかし、誰も観ていないと思っているのは自分だけかもしれません。誰にも迷惑をかけていないと思っているのは自分だけかもしれません。今回は思考実験なので、誰もいないこと、車が絶対にこないことが保証されていますが、現実にはそのようなケースはありえません。

赤信号問題は、法令順守の観点を除いても、リカバリー不可能な自分の命や相手の人生、家族の一生がかかっている問題であることを考えると、現実問題としてそのリスクを自分がすべて引き受ける、と言い切るのは私には困難です。よって、赤信号は渡らない、というのが私の結論になります。

結論

赤信号を渡ってはいけないのか、という問題は法律としてはダメ一択

法律を変えたければ、選挙に行くべし

ただし、条件を複雑にすると生死をわける瞬間に間に合わないので現状維持を希望

思考実験としては完全に条件がそろえばわたってもいいと思うが

思考実験のような「誰にも迷惑をかけていない」という究極状況は想定しにくいので、それを錦の御旗にしてなんでもありになっていくとモラルハザードを起こし、かつ思わぬところで人に迷惑をかけていることもありうる

よって上記をいつも思い起こすために、私は赤信号を渡りません。

赤信号以外の問題で判断の基準になるのは自分の責任でそのリスクを引き受けることができるか、他人への迷惑を含めてリカバリーできる想定があるかどうか。

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