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おっさんだって書斎がほしい
書斎がほしい、というのは30男、とくに結婚して子供がいる家庭ではなかなか難しい問題です。これは望めばきりがない問題で、広い家が欲しい、広い部屋が欲しい、広い机が欲しいと希望はどんどん膨らみます。
しかし、そんなに広くなくてもいいのでは、というのが今日のテーマです。
広いスペースでは人間は落ち着かない
加藤英明さんの『人生に失敗する18の錯覚 行動経済学から学ぶ想像力の正しい使い方』という本のなかに、「フードコートでは、お客に長いされてはこまるので空間の仕切りをなくし、天井を高くして、あたかも草原のまんななで食事をしているかのようにする」と書かれた一節があります。(いま手元にないんので正確な抜粋ではないかもしれませんが)
そうすると、何がおこるかというと、人間はそのような空間では落ち着かないので、食事が終わったら長居をしない。さっさとそこから離れていくようになる、というものです。ちょっと面白いですね。これを読んだとき、自分の会社が、天井は高くないのですが柱や仕切りがないワンフロアぶち抜きのレイアウトなのを思い出して「だから集中できないのか」と他責にして喜んだものです(もちろん、会社で集中できないのはたぶんに自分のせいですが)
たしかに、ゆっくりと食事をしたり、ちょっと込み入った話を、というときには料亭や個室のあるフレンチなどが好まれます。青空の下のバーベキューやなんとかフェスというのはそもそもどうなんだというツッコミもありそうですが、バーベキューでもなんだかんだで近くにテントを張ったり、陸橋の下に集まったりしますよね。
開高先生も穴倉派?
これはフードコートでの食事の話でしたが、基本的にはやはり集中したり、何かに没頭したりするスペースというのは、穴倉のような狭いところの方がいいようです。作家の開高健も、出版社に用意された綺麗な保養所の一室よりも雑居ビルの連れ込み宿みたないな狭いところの方が筆がはかどったと書いています。
書斎と呼べる一室を持つのは、家族と暮らしているサラリーマンにはなかなか難しいことですが、これを読むとそもそも集中するためには広い書斎は必要ないことがわかって安心しませんか?私も妻と部屋を半々で使ていますが、集中して書き物をするには不便はありません。
新聞1枚が視線の行き届く範囲
私が考える最低限の書斎の大きさは新聞紙を広げたサイズの机と、本棚1本。なぜかというと、新聞紙を広げたサイズというのは、ちょうど人間の視線がまんべんなくいきわたる一覧できるサイズだからです。これ以上広いと机というよりも物置に近くなります。実際にいろいろ置きたいというニーズはあると思いますが、それは余裕があれば広げればいいのであって、いまは最低限のお話。本棚は資料を収納するのに欠かせませんが、この大きさはその人の取り組んでいるテーマや本好きかどうかにもよるので、一概にはいえませんが、あまり大きいとそれは書斎ではなくて書庫。あくまでも書斎はおっさんが集中して、自分のための何かに取り組むべきところです。
狭ければ狭いほどよく、新聞一枚広げられればOK、そう思えば、ちょっと書斎が身近に思えてはこないでしょうか。(それにしては私は大き目の机なので、これを観れられた、削減されてしまうかもしれませが…)