Contents
こんなにもたくさんのものは必要ない
私たちはたくさんのモノに囲まれています。私もモノは大好きだったし、いまも好きなモノはたくさんあります。でも、これって本当に必要だろうか?人生を前向きにドライブしていくために、役にたっているんだろうか?
私が最初に、そう思ったのは山のように積まれたノートをみたときでした。
みなさんはノートジプシーという言葉をご存知でしょうか。必要以上にノートを買い込み、最初の数ページを使ってはまた新しいノートに手を出す。これでもなかった、これも違った、次こそは…。
いつもノートを買うときは少しわくわくする。真新しいノートを開くと、何かが始まるような気がした。最初の数ページは綺麗な字で書こうとする。しかし、数字もたつと、そのワクワクも薄れ、しばらくたつと、また別のノートがほしくなる。こんな私は典型的なノートジプシーだったのです。
モレスキンやニーモシネ、マルマンやロディアノート、ハンドメイドの革製ノート。横罫や方眼、ドット罫まで、さまざまなノートを渡り歩いた。ノートだけじゃない。メモパッドや、新しいボールペン、万年筆やちょっと変わったポストイット。そういう文房具が大好きで、新しい文房具が与えてくれる最初のワクワクが大好きでした。
でも、ある日、このノートを読み返すことってあるんだろうか。中途半端に終わったノートを見返しても、そこには中途中で投げ出してしまった自分がいるだけ。見たくもないから開きもしない。
そんなノートが何冊も何冊もたまっていくことで、増え続けるノートに罪悪感する感じるようになったのです。
ノートを捨てたことでノートを使うようになった
そこで、私は、思い切って使い切らずに途中で書かなくなってしまったノートを捨てました。
使い切ったものだけは残しておいてもよいルールを設け、それ以外のノートは数ページしか使っていなくても容赦なく捨てました。もったいない、という感情はここではひとまず置いておくことにしました。
幾冊もの使いかけのノートがあったところで、自分はおそらく二度とそれを使わない。さっきも書いたように、中途半端に終わったノートは罪悪感を連れてくる。反対に使い切ったノートを見たときに感じるのは達成感です。
そういうわけで、私は大半のノートを捨て、捨てた数よりはだいぶ少ない使い切ったノートを本棚に大切に並べることにしました。
そうすると、以前よりもノートを見返す頻度が増え、余計なノートを買うことも減った。気分を盛り上げるためだけに、何かを買おうとしても、処分した時のことを思い出してぐっとブレーキがかかるようになります。
モノを手放しただけなのに、気持ちが軽くなって、支出も減った。これは、ちょっといいかもしれない。私がモノを整理することに「もったいない」というネガティブ気持ちではなく、「これはいいかもしれない」とポジティブな気持ちを持つようになれたのはこの時からだと思います。
物欲が消えると、心が豊かになる?――。
『断捨離思考のすすめ』のなかで田崎正巳氏はモンゴル人を評して次のように書いています。
物欲が消えたモンゴル人は強いです。おのずと彼らの関心は、家族、自然、家畜などに向き、モノではなく心を満たすことが幸せになることだと知ります。遊牧民は、見知らぬ人が突然訪ねてきても歓迎し、食事を振る舞い寝場所を提供してきました。お互い、盗みあうものもないので、安全です。家族、友人、親戚、知人を大切にし、お互いの無事を幸せに感じ、自然の大地に感謝する生活を続けてきたので、外国人からどう見えるかは別にして、本当に幸せな暮らしを続けてきました。(田崎正巳「断捨離思考のすすめ」)
遊牧民として、引っ越しが日常茶飯事の彼らにとって、家財道具は必要最低限。モノはできるだけ少ない方がいい。だからこそ、不要なものは一つもない。持っているものは必ず使うものであって、物欲を満たすだけのものというのは存在しないのだ。あるのは、何か他の「ため」のもの。必ず必要不可欠な「用途」がある。そうしてセレクトされたものは「物欲」とは無縁の「必需品」です。
毎日使うものを手放す必要なんてどこにもありません。毎日使わなくても自分の中にちゃんと定位置があり、出番をもっているものなら、それはその人にとっては必要なもの。問題なのは、自分の中に定位置もなく、もしくはかつては出番があったのに、いまはなくなってしまったもの、出番があると思ったのに、思うように出番を与えてあげられることができなかったものが、貯まってしまうことです。こういうものは精神的な重荷になります。
手放すのが難しいのは自分の間違いを認めることが怖いから
例えば、こう考えてみましょう。あなたは企業の人事部であるスタープレーヤーを高額のお金でヘッドハントしました。でも、その社員は、あなたの会社の企業風土になじめず、実力を発揮できません。あなたもヘッドハントした責任がある手前、その選手を大事にはしますが、活躍の機会を与えられず、なんとなく後ろめたい気がずっとしてしまっています。自分がとった人だし、何かの活かす方法があるはず、きっと少し時間がたてば、状況が変化すれば。そういうってずるずるとしていくうちに、相手も年齢を重ねいよいよ転職も難しくなり…。あなたの後悔はピークに達します。
そんなことになるまえに、ほかの企業に移ってもらうように計らったり、相手とよく話して次の職場を見つけてもらった方が、お互いすっきりと前向きになれる。私はモノを手放すとき、それが手放すのが難しいと思うときは、このように考えることにしています。
手放すのが難しいのは、自分の間違いを認めることになるから。手放したあとすっきりするのは、間違いを清算して前向きな気持ちになれるからなのです。