初体験について記す
もちろん、表題についてもきちんと著すのでぜひご安心いただきたい。
もとい
どんなことにおいても、誰しもが通る道であり、人生においてはじめてのことというのはとかく緊張するものである。
結婚8年目にしてまったく幸せ太りをしない私に業を煮やした妻が2015年の一家年頭の辞において発した「オペレーションDB」によって、今季60キログラム達成が必達目標となった私は、夜食につぐ夜食で着実に体重を増やし、ついにあと数百グラム圏内にまで体重を伸ばし、目標を射程に収めながらもひとつ不安なことがあった。
指輪、抜けるだろうか?
結婚指輪をはめてから8キロ前後体重が動いている。わけても今季の伸びは来るべき自分史にいて「高度成長期」と記されるであろう急激な伸びを記録している。
もともと指は太くはないが、節が意外と太く、左手の薬指の指輪をはめる時も難儀をした。さて、それが抜けるかどうか、秋の夜長にちょっと不安になったのである。そこでちょっと試してみることにした。ちょっと難儀したものの抜けた。
そこで、である。
何をトチ狂ったか、安心した私は「右手の薬指」に指輪をはめ直してしまったのである。ちょっとした抵抗を感じながらも断固として、永遠の誓いを立てるべく「エイっ」とはめてしまった。
念のため断っておくが利き手は一般的に、もう片方の手よりも太く、節もしたがって太い。
かくして、指輪は、もう自分ではどんなことをしても抜けなかったのである。嫁は笑った。声の限り爆笑した。
永遠の婚約者の誕生である。
冗談ではない。
抜けないならまだしも、うっ血して指が赤くなってきた。
今日は家の用事があり、AMPMと気が紛れたが、夜になり、いよいよ指が変な色になってきた。
これはもう、外科的な処置に頼るほかない。
指輪の切断である。
諸兄は指輪が抜けなくなったとき、真っ先に頼るべき場所をご存知であろうか。
それは最寄りの消防署だ。24時間365日対応可。リングカッターというおそるべき最終兵器で指輪をカットしてくれる。
人生初、消防所へのお電話である。
電話すると、若い隊員が電話に出た。
指輪が抜けない旨伝え、リングカッターの装備があるかを確認すると、運良く装備はあるという。
「入院などされるのですか?」と隊員
入院などで医療を受ける前に、アクセサリーを外すことを求められ、その時指輪が外れなくて慌てる人が多いのだ
「いえ、左手にしていた結婚指輪を誤って、右手にしてしまいまして」と私
隊員も声を挙げて笑った。
「どうぞ、いまからでもいらしてください。宣誓書に記載していただければすぐに切れます。ただ、これだけはご理解いただきたいのですが」
「はい」(なんだ後遺症でも残るのか、危険な施術なのか)
「近くで災害があった場合は全体出動するので、対応できません」
「どうぞどうぞどうぞ」(私の指輪ごときと災害なんて)
という心温まる応答の後、徒歩にて消防署まで30分。
暗い玄関でインターホンを押すと、屈強な隊員のお兄さんのお出迎えである。じゃあ、こちらで、と玄関の前の長テーブルに通されるが、なぜか隊員の方が7人くらい集まってくる。
ややオーディエンスが多い気がするのは気のせいだろうか
「紐は試しましたか?」(隊員)
「ええ、一応」(私)
紐とは、指輪に紐を通し、その紐で指をキツくぐるぐるまきにして、ゆっくりと指輪に通した紐を回していくことで、ねじ回しの要領で指輪を移動させる手法である。ネットなどでも指輪が取れないときの策として紹介されている。私もデンタルフロスで試したがうまくいかなかった。
「ちょっともう一度やってみましょう」という隊員。
プロがやるならばとお願いすることにする。
キッツキツにまかれる糸、するすると回すがなかなかうまくいかない。オーディエンスもかたずを飲んで見守っている。「痛いですか?」「はいとても」「頑張りましょう」「…」というギャグのようなやり取りをしながら、2回目、3回目とトライが続く。この間、指はどんどん紫色になり、痛みは激しくなる。もういっそ切っちゃってくださいと言いたいのをこらえながら、プロを信じる。オーディエンスも非常に親身になって私を励まし、担当隊員に細やかなアドバイスをする。
そして、その時は訪れた。
「いった!」「おおおおおおおおおお」
「ぬけた!!!!!!」
もう、クララが立った状態である。
オーディエンスも大喜び、隊員さんも嬉しそうである
「もう、逆の指にはめないでくださいよ」と爽やかに指輪を手渡してくれた隊員(おそらく年下)に惚れそうになりながら、なんども感謝を述べる。
オーディエンスも嬉しそうだ。こんなに喜んでくれるとは感動である。一番年長の隊員が、施術を施した隊員の肩を叩く。
「よくやった、最初の成功例だ!」
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
誰しもが初体験を経て大人になる。
誰もがはじめての人を通じて、学び成長する。
それは避けがたい事実である。ハルキ村上も、人間は経験からしか学ぶことができないと、その小説の登場人物に語らせている。
これはこの後、この区を背負って立つ若き隊員の初体験の物語である。
※これは、昔書いたものを、加筆修正し、公開し直したものです。