前職の友人と秋葉原のブックオフに繰り出し、制限時間30分で、お互いのお勧めの本を3冊選んでは、居酒屋に繰り込み、飲みながら語りながら交換し合うBOOK・オフ会が、金曜日に開催された。
この会には、本来もう一人メンバーがいたけれど、結婚して子供ができて、本を読む時間が無くなったといって脱落した。
いまは2人だけのサシである。
子供と暇は作るもの、というコトバがあるが、この二つは両立しないらしい。といはいえ、結局は優先順位の問題であって、決して我々が暇なわけではない
遊んでいるように見えて、これがタイヘンなのだゾ。諸君。
とだれともなく言い聞かせながら、せっせと本を選ぶ。
制限時間30分で、いま書棚にあるものの中から、レコメンドできる本を選ぶのは結構難しい。しかも相手は年間300冊は読まんとする猛者、この遊びもやり始めて久しい。おすすめする本を選ぶのもかなりホネである。しかも、たんなる交換ではなく、その本をなぜ選んだか、なぜ読んで欲しいかを、この後居酒屋で力説しなければならない。
最近、ちょっと太ったこともあり、
「食」についての本をさがした。
選んだのはこの3冊。
1冊目は『文人悪食』(嵐山光三郎)
2冊目は『ロマネ・コンティ・1935年』(開高健)
3冊目は『美味礼賛』(海老沢泰久)
ほんとうは開高健は『ロマネコンティ』ではなく『最後の晩餐』が良かったのだが、それはなかった。
まず、『文人悪食』は近現代の文豪たちの食に対するこだわりや執念から、その人となりや作品への影響を観ていこうという、思いつきそうで、だがしかし、書くとなれば大変そうなテーマに真面目に取り組んだ労作。夏目漱石から始まり、三島由紀夫に終わる。心の道は胃袋を通るということばがあるが、まさにそれを地でいく面白い本である。
だが、1つだけ残念なことは、三島由紀夫で終わっていて、その後にくる開高健が収録されていない。食から作家の人となりを描くのであれば、開高健ほど格好の題材はない。
釣りやアウトドアのイメージが強いが、『開高健が喰った』というカメラマンの紀行文があるくらい、よく食べた人であり、また、それを題材によく書いた人でもある。
そのなかの1冊が「ロマネ・コンティ・1935年」である。
前述のとおり、開高健はその持ち前豊かなボキャブラリで、味について、書くことに非常に拘った人である。食についてのエッセイも多く、小説でも味覚からインスパイアされていくものが多い。そのなかで晩年の名作と言われているのが「ロマネコンティ1935」である。この作品は、幻のワインであるロマネコンティを主人公とある企業の重役がレストランで飲む。それだけの話だが、開高健はその味覚を執拗に描写する。そのたぐいまれな描写力と、味覚によって押し開かれる過去のパリの追想が見事な掌編である。何より、味覚を語彙力で表現できるのではないかと思わせる執念が感じられる。
そんな開高健が書いた食まつわる本のなかでももっともボリュームがあるのが「最後の晩餐」だが、この中で、開高が招かれた世にも豪華な食事会がある。一日中、食べ続ける。それもシェフも材料も最高のもの、カネに糸目をかけず、一切の制限を設けることなく美食を追求した宴である。「王者の食事」というタイトルの小編にでてくるこの宴の主催者が、日本にフランス料理をもたらした辻調理師学校の初代校長、辻静雄
その半生を描いたのが、最後の「美味礼賛」である。美食に生涯をかけた辻静雄の半生を描いた小説は、開高の過剰な描写とは反対に、美食についての表現は実にあっさりしたものだが、物語の力で食慾をわかせる好著である。
文豪と食
言葉と食
人生と食
それぞれ3つのアプローチで味覚に迫ったこの3冊、これだけ読めば、腹いっぱい、胸いっぱい!
ぜひお読みいただきたい!●●さん!
と、3280円食べ放題飲み放題、居酒屋で力説する35歳。
遊ぶのだってタイヘンなのだ。