断言させていただくが、エリンギはマイタケである

「何でもは知らないわよ、知っていることだけ」というのは、知っている人は知っている、某有名アニメの完璧委員長キャラの決め台詞であるが、冒頭から、そんなマニアックな前振りをせずとも、人の知識に限界があることはごく当たり前の事実である。

学習指導要領に明記された内容を除けば、ごく一般的な日本人が知っている知識は、その人の生活歴、学歴、家庭環境、などなどごく個人的な要因に左右される。もちろん、新聞・雑誌などメディアによる報道や、ここ最近は凋落傾向であるが、TVがこれまでに公共電波で垂れ流してきた最大公約数的な情報もあるにはあるが、それがこの地球上のすべての情報を網羅しえないことは、ネット社会がすでに証明済みである。

つまり!知らないことは恥ずかしいことではない!

私とて、義務教育を無事終了し、たまたま見学に行った文化祭にあこがれて学区最強の進学校にもぐりこんだはいいが、勉強についていけず、さまよいあるいて、行き当たった予備校でほぼ暴力的に英語の読解だけを研ぎ澄まし、なんとか四大を卒業した身である。

知識に偏りがあって、何が悪いだろうか。いや、知らないことのほうが多いのは当然ではないか。

事件が起きたのは、昨日の晩である。奥さんから「舞茸」を買ってきて、と言われた私は、揚々と出かけ、枝振り(というのだろうか)も見事なキノコをスーパーでゲットし、得意満面で帰宅した。奥さんもこの見事な買物ぶりを喜ぶに違いないと思って冷蔵庫にこの「舞茸」を奉納した。

しかし、その後野菜室を開けた奥様は、我が釣果をたたえるどころか、”お使いも満足にできないのねこのぼくちんは”的憐みの表情で私をみるではないか。屈辱である。我が舞茸にいかなる不備があろうか。

その後の会話を、長いが再現してみよう。

妻「間違えて、エリンギ買ってきちゃったの?」

私「いや、舞茸買った」

妻「エリンギだけど」

私「マイタケを英語でエリンギっていうんでしょう?」

妻「!%&#$!!」

妻「舞茸」を画像検索して「じゃあ、このキノコは?」

私「ぶなしめじ?」

人は、自分の知っているものしか、知らない。そしてその範囲は、この「広くて素敵な宇宙」に比してあまりに狭い。そのことを、我々、とくに私の身の回りの人には特に、思いいたしてほしいところである。

エリンギは舞茸ではない。舞茸はブナシメジではないのだ。

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