タンスからミニ四駆

連休初日。片付けをするとうそぶいていたら、ほんとにす るハメになった。ひょうたんから駒。

タンスからミニ四駆。 昔作った奴だった。

ミニ四駆をご存知だろうか。いや、ご存知ではない、とは 言わせない。1980年代に生まれて、コロコロコミックを 嗜んだ事だあるおのこならば、ハイパーダッシュモーターを 知らないとか、スポンジタイヤの摩擦係数を知らないなどい るわけがないのだ。

ダッシュ四駆郎の読み過ぎで、傘の柄の部分で愛機をひっ ぱたき、側面のプラを割ってしまったモノノフも多かったこ とだろう。もしくはチューニングした愛機に追いつけず、コ ントロールを失い、路肩を突破したマシンがダンプに引かれ て大破。茫然自失のていで世の不条理を噛み締め、涙した漢 もいたに違いない。

いずれにせよ、時代のフラグシップとしてミニ四駆は我々 の心に多大な影響を及ぼしたホビーである。

あの頃、僕らはアホだった。

確かにアホだった。効率を考えるならば、四駆より九九、 ギアよりも理科、マシンの速力を気にするくらいなら、自身 の学力と真摯に向き合うべきであったのだ。

もちろん、そうはしなかった。それが出来なかったからこ そ楽しかったのかもしれない。鴻上尚史は著書で「夢の終 わりを見通す力」について書いている。「パンドラの箱」に 最後に残ったものは、「希望」ではなく「未来がわかる力」 だという説がある。
未来のことがわからないから、人間は希望を持てるというこ とだ。僕はこの説を信じている。悪いものばかりが詰まった 箱に希望があるはずはない。どん底にあるのは、やはり最悪 の力であるはずなのだ。

タンスから出てきたミニ四駆。

さて、今やっていることが、いつか、このタンスから出て こないと、どうしていえるだろう。そのとき、僕はなんと思 うのだろう。

※2006年に別のサイトに書いていたものを統合しました。

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