父は背中で語る

自分が体調を崩して、会社を休むはずが、息子に体調を崩され、1日看護休暇をいただくこととなった。先を越された、とはまさにこのことである。

しかし、そこはさすがに我が子であって、普段、あまりみかけない父が珍しく家にいたところで、遊んでくれとせがむほど愛に飢えてはいないようである。そもそも体調が悪いのだから、父と子の会話など望むべくもない。

たんたんととなりで寝ていた。
そのためこちらもその横でたんたんと寝ることにした。

普段見せることのない父の背中を見せるチャンスでもある。
あえて息子には背を向けて眠ることにした。

しかし、考えてみれば、いつまでも寝ていてもよい、というのは、サラリーマンにとって永遠の憧れであるが、それは「でも、あと5分で遅刻」とセットでなければ嬉しくもなんともない。

もし、それが単体で無常の喜びを生むのであれば「寝たきり」というタームはもっと別のいみで脚光を浴びてしかるべきであろう。

そんなことを考えていると、いつの間にか息子が向こうを向いて寝ていた。

背中で語ることはできなかったが、奇しくも背中をあずけ合う格好となり、「この休暇が終わったら、俺、保育園行くんだ」「そうか、じゃあ俺も会社、いかないとな」というどちらになんのフラグが立つのかたたないのかわからない状況で、我々は等しく眠りについた。

混濁する意識のなかで、何かを10あたりまで数えている息子の声が聞こえた。「れんけつ」がどうのこうのと言っていたので、おそらくそれはロマンスカーEXEの車両の数を数えていたのではないかと思う。

あっぱれなテツ魂である。

こちらも対抗して、何かしら有意義が夢でも見ようと思ったが、まったく生産性のない夢を見てしまった。妻に頼まれた米を炊き忘れるという夢である。もちろん、寝る前に予約炊飯しておいたことは言うまでもない。しかし、2合だったか、1合半だったか。。

小さいことが気になる実に、オチつかない一日であった。

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