歴史上の偉人やカリスマを想いながら「自分ならその時どうするだろう」と思いをはせることはないだろうか。そこまでいかなくとも、人生の大きな岐路に立つことは生きるうえでままあることである。
この話は、そんな人生の岐路にたったであろう男に、思いをはせたお話である。

この日、私は都内の某書店に来ていたのだが、店の奥まったところで、店員と私服のオッサンがぼそぼそ話している。どうやらオッサンは万引犯人を発見したらしく、それを店員に報告しているようだ。
その容疑者は複数冊を手持ちのバックにするりと差し込むと男子トイレの個室に入っていったらしいのである。トイレである。
なんということだろう
自分もそこにいきたいと思っていたところだ。
しかし、こういった捕り物を見るのもはじめてなので多少はガマン、もとい待つ覚悟はしていたのだが、
どうにも奴さんでてこないのである。
どうやら外にいる店員の気配を察したらしく出るにでれないらしい。こうなるともう喜劇でしかない。延々でてこない。
トイレに行きたい私は悲劇だ。
まさに断腸の思いで落ちを確認せず、私はその書店をでて最寄りの喫茶店で用をたした。
そして、便座に座りながら、おなじくせっちん詰めになっている彼に想いをはせた。
いま彼はどうしているかしら。
いや自分ならどうするだろう。万引きはしないだろうが、あの状況である。皆さんもぜひ考えていただきた。私は3つ考えた。
食す
まず、最初に浮かんだのは全部食べる、という選択肢。どうだろうか、太宰のはしれメロスくらいならギリいけそうだが、三島由紀夫の豊穣の海だったらアウトだ。豊かすぎるレトリックにあのボリューム、なかなか消化しきれまい。
流す
では、流すはどうか。ビリビリにしてトイレに流してしまう。背の部分は固そうだが、硬い◯ンコもなくはないし、丁寧にちぎってふやかせばいけなくはない。しかし複数冊をと言っていた。万引きで換金目的であれば分厚い学術書かもしれない。ハードカバーを便所にながすのは無理だ。リスクが高い。
憶える
ではいっそ中身を覚えるのはどうだろう。かねがねおもっていたが、万引き商品と自分がたまたま持っていた真新しい本を見分けるすべはなんだ?スリップか?より確実なのはいやいや、この本は読みさしでほら中身だってちゃんといえますよ、と抗弁すれば、告発者は追求を断念するかもしれぬ。大岡越前が我こそはそれなる流行本の原作者と名乗る二人に、続きを書かせることでその真贋を見極め、見事裁いたごとく、万引き本をトイレで暗唱し、トイレをうちい出てこれなるは座右の書、うたがうならばそれ48ページの内容、そらであんじてみせよう!と大見得きるとかどうだろうか。うん、面白いが無駄に大変だ。
どれもやはり大変すぎる。それなら三時間残業した方がいい。
万引きはしないに越したことはない。
そう誓う日曜の午後であった。
みなさんならどうしますか?