【笑いたくなったあなたへ】説教部屋がほしい

説教部屋というものを、作ってみたいと常々思っている。

そこには、この世のありとあらゆる悪を体現した悪者が、私に叱られるのを待っている。

私は、かなり慮るたちである。腹が立つことがあっても、だいたいは、相手がそうするだけのそれなりの事情があるのだろうと、勝手にもりもりと想像力を巡らし、自分を納得させるたけのお涙頂戴のストーリーをひねり出し、相手を許すことができる。

いまはやりの忖度、などお手の物である。

であるからして、そんな私をして、忖度をすることができぬほどの、情状酌量の余地がまるっきりないほどの、史上最悪の「悪」がそこにはいなければならない。

かの国の独裁者にしろ、「余は生まれながらに将軍である」とのたもうた、三代将軍家光公のごとく、生まれながらに独裁者の家系に生まれ、独裁者として育ってきたわけだから、ああなるのも、むべなるかな。先進国クラブがみんなでスーパーファミコンを持っているにもかかわらず、貧乏人はスーパーファミコンじゃなくてファミコンをやれ、とよって、たかっていじめられれば、つい自暴自棄になってスーファミとはいかないまでもおかしなツインファミコンくらい自前で作りたくなるのもいたしかたはないではないか、と思ってしまうほどの私が、断じて、一片の呵責なく罵倒できる悪が、そこにはいなくてはならない。

そんな悪がいるだろうか。

そもそも、そんな究極のザ・悪が我が家の敷居をやすやすとまたいでくれるものだろうか。家族に危険が及ぶ恐れもあるから、妻と子供は実家に帰しておく必要がある。

お茶菓子は、何がいいだろうか。お茶を出すのは罵倒した後がいいだろうか、それとも前がいいだろうか。いろいろ言ってすみませんね。みたいな感じで出すべきか。それともまずは甘いものでリラックスさせてから、おもむろに罵倒すべきだろうか。

しかし、私にはやっぱり自信がない。

そんな悪を目の前にしたら、どうしてこんな悪になっちまったのか、きっと想像するだろう。そうしたら、もうおしまいである。地変われば人皆同じ。何かしら、その人をその人しからしめた何かがきっとある。

そんな忖度の余地のない相手は、もうどう考えても自分しかいない。

そもそもそんな悪を望むお前の性根はどうなのだ、腐ってはいないか。そもそも忖度の余地もないほど、よく知っている自分のことである。どうしても評価はからくなる。情状酌量、慮る余地もなく、自分の欠点は自分にはよくわかっている。

どう罵倒してもしたりない。

そして毎回気が付くと自分を説教している。

説教部屋に入るにたるザ悪、それは、おそらく自分のことを棚に上げて、人を批判したい、なんておもっちまった自分をおいてほかにはいないのである。

説教部屋はいつもここにある。

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