なぜ桃太郎ジーンズを買うべきなのか

しばらく前に桃太郎ジーンズを高円寺まで出かけていって購入したことがある。後ろのポケットに二本の白い線が入っているのが特徴のジーンズで、厚みもあり、生地も丈夫で履き心地がいいので気に入っている。

定価で2万を超えるので、そうそう買い足すこともできないが、できればあまり色落ちさせずに、ジャケットなどに合わせるものと、Tシャツに普段履きで気ままに色落ちを楽しむものと2本は持ちたいと思っているが、その希望はまだかなっていない。

別にジーンズなんてユニクロでも十分だとは思うけれども、丁寧に作られているらしいメイドインジャパンに少し余分に資本投下するのも悪くない。それにしても、桃太郎ジーンズをはじめ岡山にはジーンズメーカーが多いと聞く。児島、といえばジーンズのメッカみたいなところだ。

なぜ、この児島でジーンズが盛んにつくられるようになったのか。興味がわいて『日本ジーンズ物語』という単行本を図書館で借りてきた。

そこには、児島が日本におけるジーンズ誕生の地となった理由について、次のような条件がそろったからであると書かれている。

  1. 干拓に取り組む勤勉な精神
  2. 干拓地に合った綿花の栽培と木綿製品の伝統
  3. 塩田王と呼ばれた起業家としての野崎武左衛門の影響
  4. 海に面して情報が入手しやすい立地
  5. 学生服をはじめとする繊維産業の集積

(杉山慎策『日本ジーンズ物語』)

曰く、児島はもともと瀬戸内海に浮かぶ島だったが、干拓で地続きになった。しかし、その干拓された大地は稲作には向かず、塩田と綿花の栽培が盛んになった。塩田の方はその後イオン交換樹脂膜法によって衰退するが、それまで塩田で蓄積された資本が、綿花の栽培と紡績事業の隆盛に寄与したということらしい。

とはいえ、最初はデニムの記事は輸入していたらしい。日本には当時4.5オンスくらいの木綿の記事が主流で、当時アメリカなどのジーンズに使われていた14.5オンスくらいの生地などなかったのだ。

だから、当初の児島のジーンズは生地を輸入し、海外から中古ミシンを輸入してつくられた国産というにはほど遠いものだたらしい。縫製を日本でする、日本の技術で作る、という点がまず児島ジーンズのスタートだったというわけだ。しかし、備後には、もともと藍染の伝統もあった。国産のデニムの染めやデニム事自体の生産を後押しする条件がそろっていた。当初は輸入した原材料に頼っていた児島ジーンズだが、1965年には国産デニムを使用して初めてのジーンズが完成する。いまから約50年前のことだ。

ジーンズ一本。2万円は高いように思うが、こうした歴史を知るのは面白いし、これが4000円のジーンズであればそれほど興味はわかなかったような気がする。そして、これがとても大事なことのような気がするのがが、グローバル資本がつくる工業団地や新興国の工場でつくられるジーンズにはこうした歴史やバックグラウンド、背景がない。

資本を効率的に投下して、そこでなるべく安い従業員にマニュアル化した作業工程を遵守させて、画一的な商品を生産する。賃金が上がってきたら、さらに奥地に工場を移す。

こういうところでは歴史も伝統も生まれようがない。その地域の工芸には、地理的、歴史的条件が積みあがって生まれるストーリーがある。自己満足かもしれないけれど、そういうモノ語りがあるものを選んで暮らしていく方がちょっと楽しくないだろうか。愛着がわかないだろうか。それは決して安くはないかもしれないが、長く大事に使えるものになるのではないだろうか。

1本2万円の以上するジーンズを買った自己弁護に、こんなことをるる考えてみた。

関連記事

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク