モノにこだわる理由について考えてみた モノ決定論とは

「モノ決定論」

どんなモノを使うかによってその人の物事に向かうスタンスが決定される、という考え方があります。

ごく大雑把にいうと、パソコンのワープロソフトを使うのとペンとノートを使うのでは、同じ「文字を出力する」という行為は同じでも、その量や質に違いが出てくる、人の出力が、ツールによって影響を受けるという考え方です。

これを仮にモノ決定論、と呼ぶことにします。

これは何も魔法のような話ではなく、ハレの日に着る一張羅で気分が引き締まる。新しい靴をおろした日は背筋がピンと伸びたような心地よい緊張感がある、など誰でも身に覚えがあることではないでしょうか。

モノ決定論

このブログでは、モノについての様々な記事を書いてきましたが、なんで自分がそこまでモノに拘るんだろう、安いモノでもいいモノはあるし、かならずしも高価である必要はないけれど、身の回りにあるモノにはできるだけ拘りたいという思いはどこからきているのかと考えたときに出てきた言葉が、このモノ決定論です。

モノはワタシたちの生活のなかにあって、そのスタンスを決定する重要なファクターである。

かなり大袈裟に考えると、こんな感じに言えるのではないでしょうか。

自分が持つものをいい加減に扱うと、生活のスタンスそのものがいい加減になってくる。靴磨きをした日はなんだかすごく気分がよくて、前向きになれたり、お気に入りの万年室を使って丁寧に文字を書いた日は、気分が落ち着いて、心が整理された気がするのは、モノとの丁寧なかかわりが、生活のスタンス全体にいい影響をあたえたからにほかなりません。

モノ決定論

そうした意味でここでいうモノは私たちを取り巻く外界、という意味を含むものと考えられます。シンプルな部屋や心地いい環境、整理整頓されたデスク、そうした自分を取り巻く外界が自分の気分や生活に対するスタンスを規定しているといえます。

だからこそ生活をよりよくしていくためにはモノを丁寧に選んで、整理して無駄なモノを省いて、整えていくことが大切。

いたずらに増やしすぎればノイズになるし、断捨離しすぎてしまえば、ポジティブなエフェクトも得られなくなってしまう。生活を取り巻くモノと自分のいい関係をさぐっていく。モノについて語ることで、そのモノと自分の関係を整理してあらためて自分を知ることがこのブログの本当の目的といえるのかもしれません。

モノ決定論

この言葉をこのブログのキーメッセージにしていきたいと思います。

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