このブログでは、いろいろなモノを紹介しています。
自分自身モノは好きですけれど、それほど多くのモノはもっていません。
ミニマリストには程遠いけれど、ここ数年でずいぶんとモノを処分してきてもいます。
だから、残ったものは気に入ったモノしかありません。
別に身の回りのものをすべていいモノにする必要はないと思います。ただしいい加減なものにはしたくありません。選んで納得したうえで、これは安いモノで構わない、という選択をすればいいのです。
そのうえで、自分のこだわりを発揮するべきところは、可能な限りいいモノを探してそろえていく。そうすることで、人生はちょっとずつ豊かになる、そう考えています。
本多静六さんは、かつて人生の幸福というのは例えば、いまたくさんお金をもっているか、豊かか、ということではなくて、昨日より今日、今日より明日、少しづつ何かしらがよくなっていく(増えたり好転したり、できるようになったり)というプロセスにあることが大事なんだ、という意味のことを著書で言われていました。
人生の幸福というのは、現在の生活自体より、むしろその生活の動きの方向が上り坂か下り坂か上向きつつあるか、下向きつつあるかによって、決定せられるものである。人生即努力。努力即幸福 本多静六『私の財産告白』
それがまさに一番大事なことだと思います。
毎日、少しづつ部屋のなかが片付いていく、身の回りのものが少しづついいモノになっていく、何かできないことができるようになる、ブログのアクセスが増えたり、記事が増えていく、そういうプロセスが自分の成長だったり、人生の満足感の向上につながっていく。
もちろん、家族との時間にもそれはいい影響を与えてくれます。
なかでも、
自分が手にしたり、身の回りに置くものは、世界中にあるモノのなかでもほんの一握りのモノだ。だからこそ、適当に選ぶのではなく、自分のなかの基準をもとにできるだけ納得のいくものをそろえたい。
その納得を得るために、いろいろ調べるし、考えもします。その結果が、モノについて語ることができてくる。
自分はこれをモノ語りと呼んでいます。
このブログでは「生活の質を上げるモノ」としてそんなモノを紹介しています。