20年を経てよみがえるブギーポップの魅力

いきなりどかんと書影がきてなんではあるけれども、いま『ブギーポップは笑わない』のアニメをアマゾンプライムで観ている。一回、ずいぶん前にアニメ化されていたけれど、その時の作画はなんだか狙いすぎな感じがして正直好きになれなかった。ブギーポップシリーズは確か高校生のこと、成田か羽田の空港の書店で、第一作の『ブギーポップは笑わない』を買ったのが最初だった。

ジャケット買い、というのが正確で緒方さんのイラストがまず目を引いたし、タイトルもなんだかわけがわからない分、ちょっと読んでみたくなった。「スレイヤーズ」を読むのはちょっと気が引けるし、なんかちょっと人とちがうものを読んでみたい、という私にはぴったりだったわけだが、以後あれだけの大ヒットを飛ばしたわけだから、そう思った人が思いのほかたくさんいたのだろう。

新作アニメは原作に丁寧なつくりになっていて、小説版で読んだことがあっても忘れていた場面なんかを思い出させてくれて、毎週楽しみに観ている。このお話のいいところは普通の高校生がでてきて、派手な設定もほとんどなく、結構淡々と物語が進む。第一作においては、主人公かと思っていた竹田啓二君は、ブギーポップと屋上でだべっていただけでついに事件の全容は知らないまま終わってしまう。しかし、それがなんだか新鮮で納得ができた。自分が世界の中心ではない、というのはもちろんわかっているけれど、それでも現実を認識するには自分を中心にして物語を組み立てていくほかない。

でも、それは結局のところ大きな物語の全体ではなく、ごく一部にすぎない。そのことを自分は最後まで知らないままで終わる。でも、竹田君にとってと同じように、その物語を自分は受け取って、進んでいくしかない。それが普通ということではないだろうか。

と、若干中二病的な受け取り方ではあるけれども、世界と折り合いをつけつつあった青少年にブギーポップははまったのである。世界の中心で世界から遠く離れ、どこにいくかもわからなかった子供たちに。

悠木碧さんの声で新しい命を吹き込まれたブギーポップが言う。

「君はもうそのその答えを知っているんじゃないのかな」

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