異世界転生モノが流行っている本当の理由とは

「異世界居酒屋のぶ」。食べる系の漫画って結構好きなんですけどね、これもその一つ。異世界につながった居酒屋「のぶ」では、何の変哲もないメニューが異世界人に大人気。「トリアエズナマ」をメニューだと思って連呼する異世界の皆さんが愛らしくつい買ってしまいました。

さてさて、

異世界転生モノが流行っている、というのは数年前から界隈では自明のことでございまして、世にいうとこのろ転生トラックなんて流行語も生み出されるくらいでしたが、最近大新聞でも転生モノがアツい、みたいな記事を見かけるようになり、そろそろ次の流行が生まれる前兆ではないかな、と身構えたりもする今日この頃です。

でも、新聞にしろなんにしろ、転生モノの流行は「生きづらさの裏返し」みたいな論調は結構ステレオタイプでひねりがありませんね。それはそうだろうと。日常系が流行ったときもそうでしたが、もう、読者や視聴者は葛藤や艱難辛苦とか求めてませんからね。そういう段取りは一切すっ飛ばして、とにかく俺TEEEEEE!というカタルシスを得たい。もしくはただただ優しい日常にくるまれていたい、そう思っています。(珍しく言い切ってしまいますが、それは私が日常系やら転生モノにそういう要素を求めているからです)

ですから、そんなことをいまさら書かれてもなんの発見もないわと思っていたのですが、一つ、すみません、何新聞さんか忘れてしまったのですが、これは、という洞察が書かれていたのです。それは転生モノはもはや「時代劇だ」というものです。

つまり形式として水戸黄門なんかに近い。勧善懲悪というか、主人公は最初から先の副将軍という俺TEEEE状態で新しい町や村を訪れ、そこで人助けをして、最後は俺無双で悪い奴をやっつけて、町娘に感謝される。その流れはどれもいっしょ、でも毎回日本人は観てしまう、これはもう完成された様式の一つである。それと似ている、というのですね。

これは面白いです。

基本的に物語はすべて水戸黄門てきな要素を持ってはいますが、転生モノほど量産され、構成がわかりやすく、特徴がそろっていると、これはもう一つの「型」。毎回毎回同じでも飽きることはない、むしろわかっているからこそ安心してみることができるともいえるのです。安心して見られる、安心してよめる。

生きづらさとかそこまで大げさな話にもっていかなくてもいいんです。水戸黄門をみているおじいちゃんおばあちゃんが、生きづらさを抱えていますか?そんなことはないでしょう。安定の展開を安心して楽しみたいだけなんです。それと転生モノは同じではないか。

これはいい切り口でした。初めて新聞を読んでよかったと思います。会社で読んだので、何新聞か忘れてしまってごめんなさい。

そして、ここまで読んでくださったかたがもしいたとして、ちょっと嫌な予感がしたのですが、いまどきの若い人ってもしかして「水戸黄門」、、、、知らない?

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