自粛3日目。幼女戦記2巻も無事に読み終わり、「小説ってほんとうに素晴らしいですね」という淀川さん的な感想を一人述べたのが昨日の12時。本来なら今朝は近所の公園にでも行こうとおもっていたのに、あいにくの雨。ということで完全に手持無沙汰であります。
いろいろ連休明けにやらねばならないことはある一方で連休明けにやらねばならないことは「連休明けにやらねばならない」のであって、それを連休中に前倒すなんて狂気の沙汰である。やるべきことはほっておいてもやらねばならないからヤルベキコト。
連休中くらいはやりたいことをしたいものだが、ここでエアガンをぶっ放したらさあ大変。あんなものを人に向けて撃ったら逮捕である。そう考えると、サバゲ―は本当に紳士のスポーツだ。自分は思うさま動体目標を打ちまくりたいが自分は撃たれたくはない、というワガママモノは参加資格なし。
自分がされていやなことを許容するかわりに、自分がしたいこともする。そのルールが守れる人だけが参加できる、まさに社会の縮図。これで撃つ権利もなく撃たれるだけなら給料をもらわねばならない。しかし、この伝でいくと会社は自分がしたいことを我慢ししながら(給料をもらって)人がしてほしいことをする場所ということになるが、いかがか。
サバゲ―のように、いやいや、私はちょっとシャイなんですけど営業やりますから、あ、じゃあ私、不器用なんですけど、誰もいないんじゃこまりますから、開発やりますね。おたがい、疲れたら「ヒット!」っていって退勤しましょうね。いやー今日の労働は楽しいですね~なんてことはまず無理。働きたくてしょうがない人以外は無理である。
いやいや望んで働きたい人もいるよ、そんなことはないよ、という派閥には2派あって、自己実現派は自己克己派に分類される。自分の好きなことで人の役に立てれば一番幸せというタイプと、仕事をきわめて行けば、その領域で抜きんでて、結果、(嫌でも)無我夢中でのめり込んだ仕事が天職に昇華するスーパーサイヤ人タイプである。このほか、この2つをハイブリッドした起業家タイプという魔人ブウのような種族も存在する。いずれも実に結構なことである。
しかし、なぜかそういうタイプは少ない。もしくは労働において搾取されがちである。普通は「給料もらわなきゃやってらんない」といいながら仕事をしている。その多くはやるべきことだ。そんな人でも金を払ってBB弾の前にその身をさらす。一方で、人によってはBB弾で顔面を撃ち抜かれることは避けたいだろう。そういう人に参加いただくには参加費を払わねばならない(給料)。
よって行為そのものが問題なのではなく、誰かがカネをもらっても嫌なことが、ある人にとっては金を払ってやりたいこととなる。ヤルベキコトとヤリタイことの違いはひとすじなわではいかない。
BB弾の前に身をさらしたい(人のやりたくないことをすすんでもしたい)人と、それをお金を払ってもしてほしい人がであったときが、前者にとってのハッピーアワーで、それを目指すことがいいことのように喧伝されがちだが、それって確率的に低かったり、あとはマゾ的な気質を称揚したりしませんかねと個人的には心配になる。
なぜやりたいこととやるべきことの間にはこんなにも大きな溝があるのか。すでに連休も折り返し、休み明けのヤルベキコトを思いながら、ヤリタイコトもできずにうんうん悩む。やはり自粛は体によくない。サバゲ―に行きたい。それだけがいいたかったのにどうしてこうなったのだろう。