いや、どのあたりが、「僕たちに必要なもの」なのかといわれてしまうと困るのですが、ちょっと考えたことがあったので、メモ的に書かせていただきます。
恋愛禁止を掟とするアイドルグループが、その晴れの舞台である総〇挙で「結婚宣言」をすることについて、人によっていろいろな反応があろうかと思います。
- 激怒する人
- 激怒することもない、そんなもんだと思っている人
- なぜ激怒している人がいるのかわからない人
まあ、いろいろだと思います。
アイドルだって普通の女の子なんだから、恋もするし結婚もする、というきわめてリベラルな思想をもつ人もいれば、そんなことはありえないアイドルはトイレにもいかないんだぞ、というそれこそ最右翼の方までいると思います。
で、私が何を思ったかというと、「スプーン曲げ」を思い出していたのです。
あれ、ショービジネスのなかで、手品だといってやる人もいれば、超能力だといってやる人もいますよね。どちらにせよ、タネも仕掛けもありません、という前提は同じなんですが、手品の方は、それでも見る側も、「とはいってもタネも仕掛けもあるんだろう」と思ってみていますし、「でも、それがなんだかわからない、不思議だ」と首をひねりながら楽しんでいる。手品師もあえて、「タネあります!」とは言いません。
一方で超能力だと思っている人は、タネも仕掛けもあるわけはない。そもそも超能力なんだから、ひたすら信じている。超能力者も、もちろんそれを否定したりはしません。むしろ積極的に肯定することで、聴衆をひきつけて商売しているわけです。
彼女たちは公にはまあ、スプーン曲げに近いことをやって見せて、自称超能力に近い立ち位置で商売をしていたのだと思います。それに対していきなりメンバーの一人が「タネあります!」とカミングアウトした。それによって、一部熱狂的に信じていた人は怒り狂うだろうし、まあ、きっとタネはあるよね、超能力といっても手品でしょう、と思っていた比較的リベラルな人たちも「それをいっちゃあおしまいだけどね」としらけている。
そんな風に思えるのです。
スプーン曲げは超能力です!といって、ショーに読んでおきながら、
ステージの最後で、「トリックバラします!」と言われたら、それは怒るだろう。
よい悪いではなく、そういう礼儀、もっと言えば、設定の問題ではないのでしょうか。