空の青さを知る人よ ネタバレありレビュー しんの旅立ち

観た方向けなので、細かいストーリー展開をなぞることはしませんが、結局、この映画において、「しんの」の存在は何を意味していたのか、という問題を考えてみたいと思います。

お堂からでることができない「しんの」

彼は、慎之介の帰郷と時を同じくして出現し、かつて自分たちが練習していた(そして現在ではあおいの練習場所)お堂から外にでることができません。

しかし、実態は存在し、おにぎりは食べるし、あおいにベースの手ほどきをすることができる実体をもった存在として描かれます。しかし、現実の慎之介と同時期に存在しており、その意味では過去からやってきたタイムトラベラーではないのです。

映画の本編では、生霊?とあおいたちからは考えられていますが、終盤、崩落事故に巻き込まれたあかねのところに駆けつけるために、ついにお堂から脱出し、あおいと空をとんであかねのところに向かいます。

このとき、慎之介がかつて、使っていて、お堂に置きっぱなしにされていたギター、通称「あかねスペシャル」が激しく振動し、最後には弦が断裂して壊れてしまい、それと同時にしんのはお堂を飛び出すことができました。

この描写から、しんのは「あかねスペシャル」によってこのお堂に縛り付けられていた、と考えることができます。ではあかねスペシャルとはなんだったのでしょうか。

かなわなかった約束 あかねスペシャル

これはあかねと慎之介が一緒に東京にいこうと約束した象徴だったのではないでしょうか。

その約束が果たされず、あかねスペシャルはお堂に置き去りにされました。そして、しんのは、あかねに振られてお堂に籠ってきがついたら13年が過ぎ、「自分はここ(お堂=故郷)から一歩もでることができていない」というのです。

つまりあかねスペシャルに象徴される「あかねとの約束」に囚われて前に進めない存在こそがしんのなのです。

一方で、本当の慎之介はあかねをビックになって迎えにいくことを心に誓って、上京し、現実と格闘している、その点でしんのも認めるように「前に進んでいる」存在です。

この映画では、ともすると慎之介はヘタレでしんのがかっこいい存在として描かれます。

しかし、あかねスペシャルに象徴される「あかねとともに行きたかった、一人では前に進めない」という「とどまる」存在こそが「しんの」であり、この映画ではあおいに文字通り手を引かれる形で、そのから(お堂)をやぶり、かれがそとの世界に向かって飛び出すラストを考えれば、へたれ「しんの」の旅立ちの物語と読み替えることもできるのではないでしょうか。

その意味で、いまのあかねを助けるために、古いあかねとの約束の象徴であるあかねスペシャルが破壊されて、「しんの」が飛び出していくシーンはとても印象的です。

あかねと一緒にいけなくても、夢だったビックな音楽家にたとえなれなかったとしても(「しんの」は慎之介の現在の姿をみてそれをしってしまっています)、いまできること、これからできることをしたい、そのために、古い約束や夢に縛られず、新しい空に向かって飛び出す、それが「しんの」がお堂を飛び出したシーンの意味であり、それを見せつけられたからこそ、慎之介は、まだ終わりではない、古い約束ではなく、新しい夢を、生活をあかねと描こうと決心できたのではないでしょうか。

へたれ「しんの」(慎之介)が果たされなかった約束を乗り越えて、前に進む物語、まだ全然終わっていない、できることはまだまだあるはずだ、そんなおじさん世代へのメッセージを、私はこの映画から受け取りました。

もちろん、これは「しんの」に焦点をあてた見方であり、あかねの生き方、あおいの青春と初恋といった切り口からみても、この映画は面白く味わい深い作品に仕上がっていると思います。余談ですが、あおいの眉毛が最近のヒロインではありえないくらい太く立派で、私はこれで、もうぐっときてしまいましたね。このまゆできりっとにらまれ、ガンダーラなんて歌われてらもう、慎之介もいたたまれなかったことでしょう(笑)

そらの青さを知る人よ

青春まっただなかの人にも、青春を振り返って、新しく今日を生きる人にもおすすめの映画です。

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